2006年05月22日

W杯特集――出場国紹介 ブラジル後編

W杯特集-出場国紹介 ブラジル編(後編)

さてさて、「出場国紹介 ブラジル編」の後編となります。自他共に認めるサッカー王国のブラジルですが、ことサッカーに関してはいわゆる「人種問題」を歴史的に早い段階で克服したことが、その強さの秘訣だといわれることがあります。今回のエントリーはサッカーそのものからはなれますが、こういうちょっとしたサッカー文化情報を紹介してみましょう。

brasil1950.jpgまずは左の写真をご覧ください。写真が古い&小さいのでわかりにくいかもしれませんが、注目してもらいたいのはメンバー構成です。これは1950年W杯ブラジル大会にのぞんだブラジル代表チームですが、いまから50年以上昔の段階で、すでに黒人やムラート(白人と黒人の混血児)がメンバーに入っていることがわかりますね。

「ん? それで? だからどうしたんだ・・・」というような声があがるかもしれませんが、では、以下の写真とくらべてみるとどうでしょうか? 写真左は1974年W杯ドイツ大会に出場したJ.クライフに率いられたオランダ代表チーム。写真右は1984年ヨーロッパ選手権フランス大会に出場したフランス代表チームとなります。
pays bas.jpgfrance1984.jpg






これらの写真を見ると、近年では両国代表チームに欠かせない黒人、いわゆる「ブラックアフリカン」系選手の姿があまり見当たらないことがわかりますね(註1)。それはというのも、「白人以外のサッカー選手(つまりブラックアフリカンはもちろんジダンのようなアラブ系の選手たちもふくめて)」たちが、貧困や差別を乗り越えてヨーロッパの国々で活躍できる環境になったのは、つまり逆にいうとヨーロッパの代表チームが身体能力の高いブラックアフリカンらの力を手に入れるようになったのは、だいたい1980年代以降のことといわれています。いまでこそ当たり前の光景となりましたが、ヨーロッパのサッカー代表チームが多人種で構成されるようになったのは、それほど昔の話ではないのですね。そして、そもそもイングランドからサッカーを輸入した国々では、輸入当初、いまから百数十年前の話ですが、サッカーがハイブロウな競技として受け止められていて、おもに現地に住むイングランド人や現地の白人富裕層によってのみプレーされていました(註2)。その後、彼ら以外の労働者などもプレーするようになり国内リーグなどの組織が整備されていったのですが、それでもしばらくは黒人などの被差別階層の人々はストリートサッカーなどに興じることはできても、プロリーグなどトップレヴェルでプレーすることは社会的に制限されているといった状況だったのです。
その一方でブラジルはといえば、サッカーが伝来したのは19世紀末とサッカー伝統国の中では比較的遅いほうなのですが、1910年代にはほぼ全国的に普及し、当時支配的階級であった白人から低所得にあえいでいた大衆(黒人、ムラートなど)にいたるまで、すぐさまあらゆる階層の人たちの間でサッカーが行われるようになりました。しかも1909年にはアルツール・フリーデンライヒ(父がドイツ人、母がブラジルの黒人)というムラートの選手が、白人富裕層の「サロン=サッカークラブ」と契約したことからもわかるように(註3)、世界的にみてかなり早い段階から白人以外のサッカー選手を受け入れる環境が整っていたのですね(註4)。このことはその後の同国サッカー界の発展に大きく貢献しました。それはもちろん身体能力の高い黒人選手のおかげで技術面が向上するというよりは、サッカーという競技が人種差別などの文化的記号によって門戸を閉ざされず国民すべてに開かれている。つまりブラジルという世界でも類をみないほど多種多様な人種、民族の住む国においてサッカーが共通の言語となり、特別な位置を占めることにもつながったのですね。逆にいうとこのことは、ブラジルサッカーは100年も前からさまざまな特徴をもった人種、民族の長所を自身の糧としてとりいれることができたということも意味し、そういう切磋琢磨するような状況でブラジルサッカーは独自のスタイルを築き上げることができたといえるのですね。

ヨーロッパはもちろん日本でも、人種的観点からみたサッカーの国際化はどんどん進んでいます(註5)。けれども、たとえばヨーロッパでも有数の多民族国家となり、サッカーが人種統合の象徴となっているフランスサッカー界では依然としてこのような@A人種差別問題を抱えています。1984年当時と比べて、フランス代表のメンバーもずいぶん様変わりしたものですが(以下は今回のドイツW杯登録メンバーです)、フランスが、サッカー界における移民統合の問題では先輩格にあたるブラジルに追いつき、追い越すような日がはやくやってくるといいですね・・・。equipe de france.jpg

註1:では、なぜ当時のヨーロッパの代表チームには黒人選手が少なかったのか、その一方で現在はなぜ多くなったのかということについては移民問題、社会情勢、政治などの問題がからみ、簡単には説明できません。今度稿をあらためて「サッカーと移民、人種問題」として詳しく紹介したいと思います、

註2:ちなみにイングランド発祥の「兄弟スポーツ」、サッカーとラグビー。いまでこそ、サッカーは大衆のスポーツ、ラグビーは上流階級のスポーツとしてとらえられていますが、1860年ころに両競技が誕生して間もないころは双方ともハイブロウなものと受け止められていました。最初はイングランドでも上流階級に属する人たちの間でのみプレーされていたのですね。ところがその後、サッカーという競技はたとえばラグビーにくらべてルールの単純なのが原因なのかもしれませんが、余暇の時間がもてるようになった労働者階級の人々は、こぞってサッカーを楽しむようになり、そして彼らのなかからサッカーを職業とする人たちが出てくるようになってから、上流階級の人々の心はサッカーから離れていったといわれています。上流階級の人々にとって、スポーツはアマチュア精神にのっとって、つまり勝ち負けに固執するのでなく、あくまで余暇として楽しむためにするものですから、これを職業とするのはプライドが許さなかったのでしょうね。こういう経緯をたどって「サッカー」という競技は大衆文化であるというレッテルが貼られるようになったといわれています。しかし、上流階級の人たちも、ある意味大衆にたいしてルサンチマンを抱くことがあるのを示すようなエピソードですが、上流階級ってのはなかなかややこしい精神構造をしてますね・・・。

註3:「FCゲルマニア」というチーム。おそらくドイツ系移民のチームでしょうね。

註4:この理由については、ぼくも詳しくわかりません・・・。政府要人などはいまでも白人層で占められていますし、まったく人種差別がないというわけでもなさそうですしね・・・。みなさんのなかで、ブラジルの人種問題について詳しい方がおられれば、なにかご教示ください・・・。

註5:日本代表の三都主選手などブラジルからの帰化選手ばかりでなく、北アイルランド出身の父をもつカレン・ローバート選手(ジュビロ磐田)、オランダ人の両親をもつマイク・ハーフナー選手(横浜FM)など、「日本人」以外のルーツを持つ日本人選手たちが現在Jリーグで活躍しています。
posted by superlight at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | W杯特集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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